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めざせ巨大ミドリフグ?盛岡市近辺のあれこれと・・・ミドリフグ飼育日記です。 毒?いいえ、まったりとした日常にひとつまみのスパイスをどうぞ♪
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プロフィール
HN:
高松あひる
性別:
女性
自己紹介:
岩手県盛岡市在住
2004年、一匹のミドリフグに
魂を奪われ現在に至る
ど地味な外見に反して
どーやら口が悪い、らしい
しばしば
「お、また毒吐いた」と評される
ん~本人的にはせいぜい
軽めのスパイスなのだが・・・
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3月11日
津波第一波到達時刻に黙祷した

2年前 
職場で感じた「普通」じゃない揺れ
激しすぎる  こりゃあ、只の地震じゃない
岩手山の噴火って感じじゃないし、
日本海のメタンハイドレードでも爆発したのか?
そんなことを考えた

八戸に出張中の常務から安否確認の電話が入る
その電話を最後に全ての通信が途絶えた
停電
信号機も止まってる
「おかけになった地域では・・・」
携帯もメールも使えない
ラジオでは三陸沖が震源だという
津波の避難を呼びかける声
三陸の人は津波に慣れてるから、きっと大丈夫

知らなかった
何が起きてるのか

盛岡では余震がずっと続いてたけど、取りあえず近所の人もみんな生きていて
日が暮れると真っ暗だったけど水とガスは使えてた

3日後、電気がきた
そこで初めて知った現実

遅れてやってきた家族や友人からのメール
「大丈夫か?連絡くれ」
「そっちはどう?大丈夫?」

その中に混じった大船渡の友人からのメール
「津波警報はどうですか?」
送信時刻は地震直後
当然ながら電話もメールも通じない

グーグルアースで彼の家を探す
きっと世界中の人たちが地震直後から、これ作ってくれたんだよね
皆それぞれできることをしてくれてるんだ
今、私に何ができるんだろう
インターネットに公開された避難所の名簿リストをひたすら見る

そんなことしかできなかった

しばらく経って大船渡行のバスが開通した
一人夫が米や食料品・日用品を持って出かけた
彼の家はちょっとした高台にあるからきっと生きているだろうって
幸い、彼も彼の家族も無事だった
隣の家の井戸から水貰ってるって笑ってたそうだ


うちは被災地じゃないし、私も被災者ではない
家もあるし家族も無事だ
でも、知ってる人も知ってる町も消えた


亡くなった人の話をするのが一番の供養になるという

でも、さ
本当は「それしかできないから」じゃないのかな
だって結局、何ができるというんだろう
話すこと、語ることしかできないから
それが供養になるって信じることしかできないから

50年後、この記憶はどうなるんだろうか

だって、今、10万人が亡くなった東京大空襲について
話してる人がどれくらいいる?

何ができる?
何もできない?
思いはどこまで残る?

分からない


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